「電子書籍」と言っただけで、気持ちの悪い人たちがウヨウヨ湧いてくるたった一つの理由

「電子書籍が〜」と言っただけで、ヘンな人たちが湧いてくると思ったこと、ありませんか? ・日本の書籍なのに横書きで(ry ・ルビが(ry ・解像度が紙に比べて低くて(ry ・紙とインクの香りがなくて(ry ・紙の手触りがなくて(ry ・めくるアニメーションの表示が悪くて(ry ・左開きがどうの右開きがどうの のような、筋が悪すぎるとしか思えない批判をされたこと、ありませんか? デジタル社会について行けない老害が(ryなんて思ったこと、ありませんか?

それ、まさに同感です。でした。 共感できない人もいると思うけど、 このページでは何でこういうことを言われてしまうのかを考えているので、 違う意見があったら指摘してもらえるとありがたいです。

さてここから本題。 議論が平行線になる場合往々にしてそうなのだけど、 これだけ意味不明なことを言われるということは、 多分何か根本的なところで前提認識がズレてるんだろうことは想像に難くない。 原因を考えてみた。

恐らく、「本の本質をハードウェアと捉えているか、ソフトウェアと捉えているか」 にあるんだろうな、というのが今のところの結論。

自分のようなソフトウェア側で捉えている人間は、 「本というのは何かしらの情報を伝えることを目的としていて、情報そのものが本質である」 と考えている。 20世紀までの技術で一番効率が良かったのが、 たまたま紙にインクをのせるという手法であったから現在の本という形をしているだけで、 これから情報技術が進歩していけば、もっといい形態を取りうるだろうし、 むしろそうなって欲しいと思っている。

だから、本のエミュレーションをすることにそもそも興味は無い。 電子「書籍」という言葉を使っているのも、より良いモノを模索する過程で、 マーケティング上都合がいいからこの名前を使っているという認識でいる。 本の「紙」や「インク」といったハードウェアには全く興味がないと言っていい。

当然、ハードウェア側と捉えている人間はその辺りの考え方が全く違う。 だからこそ、手触りだのインクの香りだのといった批判が出てくる。

やっかいなのは、彼らこそが現在までの「書籍」を支えてきた人たちであり、 支えてきたという自負,情熱,そして技術ノウハウがハンパないということなのだ。 古くは石版から、活版印刷という意味ではグーテンベルク以降、改良を続けながらも、 根本的な部分では飽きもせず同じスタイルで脈々と製本し続けてきた人たちなのだから当然だろう。 歴史の蓄積から言えば、彼らに理があると言わざるを得ない。 #興味がある人は印刷博物館にでも行ってくるといい。 #本自体に興味が無くても、技術が好きな人なら楽しめるはずだ。

彼らの努力と実績は、同じ技術者として素直に尊敬する。 そんな彼らの前で、不用意にe-“book”とか電子「書籍」なんて言ってしまった僕らに非があるのだ。

そして、本当に「紙の本」が無くなってしまうとご飯が食べられなくなってしまうのも彼らだ。 だから、「必要に迫られて」何も分かってないぼくらに対して「専門家としての誇りを持って」 イチから啓蒙せざるを得ないわけだ。

このままでは、船頭多くして船山に登ってしまいかねない。 事ここに至っては、もう正直に言ってしまうべきだ。 「僕たちは、USBメモリを咥えて内容が理解できるならその方がいい変態なんす。 深く考えずに『book』とか『書籍』とかナマ言ってすんません。 これから僕たちは『ぼくのかんがえるさいきょうの情報提示装置』という名前で開発を進めるので、 あなたたちは『電子書籍』を作って下さい。 お互い口出ししないようにしましょう。 そして、いい物ができたらお互い素直に認め合いましょう。」

正解は一つじゃない。 意識のすれ違いによって起こる不毛な議論は必要ないとぼくはおもう。

Written on May 8, 2012